2013年6月16日日曜日

Cambodia

カンボジアと言えばアンコールワットで有名なアンコール遺跡ですね♡

世界中からアンコール遺跡を見にたくさんの人が訪れてて
アンコール遺跡があるシェムリアップはかなり観光地されてました。

自分を含めて外国人だらけ♡

私がカンボジアに来た理由も、もちろんアンコールワットでした♡

しかし、カンボジアに来て、今から30年前にカンボジアで起きた悲惨な歴史を知る事になりました。

まっとくというほど無知でした。こんな事が30年前にあっただなんて、まじで衝撃でした。30年って全然昔じゃない。

今からカンボジアで30年前に起きた大虐殺について書きます。
色んな所から引っ張り出して貼り付けてます( ̄Д ̄)ノ

ベトナム戦争終結後300万人ものカンボジア人が、同じカンボジア人の手によって虐殺されました。

虐殺の黒幕は『ポルポト』と言う男です。

ポルポトは国内から知識人層を根絶することを目指します。知識は人々の間に格差をもたらすと考えられて、影響を受けたポルポトも「国を指導する我々以外の知識人層は自国には不要」と考えたわけです。

農作業に従事している人に布告が出されます。「医者・教師・技術者・学生だった者は名乗り出てほしい。国の再興には君たちの力が必要だ」とこんな感じの布告でした。当然、該当する人は名乗り出るわけです。「これで辛い農作業から解放される」 わけですから、これらの人々は拍手の中、みんなに見送られます。しかし、彼らの中に帰ってくる人は一人もいませんでした。彼らには「再教育」という名の処刑が待っていたのです。

もーやり方がキモイ(´・_・`)

この知識人狩りは次第にエスカレートしていくことになります。以下は当時、本当にあった事例です。

「本を読んでる」←文字が読めるなんて知識人
「海外行ったことある」←海外行くなんて知識人
「ラジオを聴く」←ラジオを持ってるなんて知識人に違いない
「旧貨幣を持っている」←反体制派

「子どもに教育した」←我々と異なる思想を植え付けた
「腕時計をしている」←腕時計しているなんて知識人
「恋人がいる」←社会風俗を乱す

「眼鏡をしている」←眼鏡をしているなんて知識人に違いない
「手が綺麗」←畑仕事をしていなかった知識人
「イケメン&美女」←もう理由なんていい

そういった人達は次々と虐殺されました。

どんな理由なん_| ̄|○って感じ。ポルポト本当くるってる。

さらにポルポトは地雷を「完全な兵士」として高く評価し、西部のタイとの国境地帯を中心に大量に敷設します。これが今でも地雷被害を引き起こしている根源原因でらしい。本当にポルポトなんか大っ嫌い_| ̄|○

ポルポトは正にカンボジア人にとっては悪夢そのものでした。だってあれですよ、ポルポトから解放された時の人口比、

なんと国民の85%が14歳以下でした!!それだけ大人は殺されたってことです。

シェムリアップからバスで8時間程の所にカンボジアの首都プノンペンの
トゥール・スレン虐殺博物館とキリングフィールドに行ってきました。

もう、ずーーと、ブルーな気持ちとずーと鳥肌たってた(´・_・`)
知らない事の多さにもブルーな気持ちになった。

写真は撮る気になれなかったので、、、。

今、カンボジアはそんな悲劇があったとは思えないほど、すごい勢いで発展してる。きっと次カンボジアを訪れる時はまたすごく発展してるんだろうなと思った。

LOVE & PEACE
な世界になりますよーに。


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